田舎で苦労するのは大人だけじゃない

一時期の田舎ブーム(〇ケハヤの煽りブログの流行とかがあったのかな)が去り、田舎はいいことばかりじゃない・むしろ都会の人は行き辛いという風潮になってきていることにホッとしている佐伯です。こんばんは。

こういう記事もめちゃくちゃ増えていますよね。いいことだと思います。

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ただこういう記事、限界集落みたいなのは生きづらい等書かれているんですが、生活できる程度の田舎の否定はないんですよね。イ〇ハヤも限界集落じゃなくて県庁所在地の市あたりからの移住を推奨していたりしますしね。一理あるけれども、それだと考えが浅い。具体的に言えば、大人はそれでもいいけれども子供はそうはいかない場合があるということ。

東京生まれ、地方都市育ち

両親は東京の人で、わたしは幼稚園までは横浜で育った。その後、父の転勤があり西日本の某地方都市に引っ越すこととなりました。政令指定都市だし、生活に不便はない。歩いて5分くらいのところに普通のスーパーは2つほどあったし、転勤なのでそこそこ良い家に住むことも出来ていたし、中高一貫を受験できるような環境でもあった。

変な村のしきたりもなく、男尊女卑やうるせえジジババがいるなんてこともない。

 

だったらなんで?東京ほどごみごみしていなくて理想的なのでは?と思う人もいるかもしれません。

 

方言が話せないと一緒に遊んでもらうことも出来ない

引っ越しと同時にわたしは幼稚園に入園した。もうアラサーになるのに今でも忘れられず、これがわたしの田舎に引っ越すなら死んだほうがましという思想を形成したと言っても過言ではありません。

両親が東京の人であり、言語習得時期に東京で育ったわたしは方言が話せませんでした。幼稚園で鬼ごっこをしているグループに混ざりたくて、「入れて」と言っても入れてくれないのです。そして「一緒に遊ぶときはよしてって言うんよ」と言われるのです。訳も分からず「入れて」と言い続け、泣き出すわたしに先生も「よしてって言えばいいんだよ」と当時のわたしに意味の分からない言葉を言えと言うのです。

子供の世界の言葉はその子の周りの言葉がすべてで、彼ら/彼女らも決して悪気があったわけではないのです。

大人であればこんなトラブルは起こらないけれども、子供は普通に起こること。これを子供だから仕方ないとするのは簡単だけれども、今でも忘れられないレベルの傷となっているくらいに傷ついているのも子供。

 

ここ、どこだと思いますか?広島ですよ?それも広島市内のど真ん中限界集落や、山間部の話じゃないんです。

 

それからは生きるために広島弁を覚えました。でも家では両親に合わせて標準語を話すというある種のバイリンガルのような生活。中学に進学することには、そんなことをする必要はないと分かり(むしろサラサラ標準語が話せていいねという風潮だった。私立の女子校の良いところかもしれない。)、学校でも家でも標準語になったけれども、ド田舎ではない程度の地方暮らしは良しとされているのを見るたびに、方言が喋れずに仲間外れにされたことを思い出します。

 

転勤はしかたない

とはいえ、転勤は仕方ないと思います。幼稚園や学校で起こったこと全てを親が把握してカバーするのは不可能です。でもせめて、こういうことがあるということは知っていてほしい。幼稚園の先生に事前に相談することも出来ると思う。(多分両親は引っ越しの時にその発想がなかったんだとは思う)

加えて不便じゃない程度の田舎ならいいよねなんて、子供の入園の時期だしいいよねなんて考えた自己都合の脱東京も一度考え直してほしい。子供の世界では幼稚園や学校が大人の社会と同じくらいに大きなものだ。そこで、これまで覚えてきた言葉が急に通じなくなることの絶望。大人が想像するよりもずっとずっと大きなものだ。

 

個人的に一番罪が重いのは先生だと思っている。地方の幼稚園の先生はやっぱり地方育ちで卒業後先生になり、その地方で子供とその親という狭い世界を生きていることが多い。だから仕方ないで済ますのではなく、障害や外国人なんかの分かりやすい多様性以外にも他地域からくる子というのも認識して対処を用意しておくべきだ。

今の幼稚園は知らんけど、少なくとも25年前の幼稚園は先生も多勢に加勢することしかしていなかった。これも絶望でありアラサーになっても田舎ヘイトは留まることを知らない。

 

ただの愚痴と思われても結構だけれど、子を持つ誰かの心に止まりますように。