三度目の命日と肉じゃが

母の三度目の命日でした。休日に実家で法事を済ませ、今日は普通に仕事に。

住職の読むお経の意味は全く分からないけれども、母の遺影を前に母との思い出を振り返っていたら3年経っても涙が止まらなくなった。

父を見ても、妹を見てもそんな様子はないので二人は自分なりの気持ちの整理ができたのだろうなと思った。その速度は一緒で一定である必要はないので、わたしはまだ泣いてしまうことがあるけれどもそれでいいんだと思うことにした。

今もたまに母が元気な夢を見る。夜中に目が覚めた時、隣に感じる背中を母に感じて混乱することも多々ある。あ、母だなあとなったあとに、いやいや違う。これは誰だ?となる不思議な感覚。一瞬空いて、ああ彼だ。となる。

いや、一瞬母だったのかもしれないと思わせてくれるような人が隣にいてくれることはとても幸せなことかもしれない。

 

母と肉じゃが

母の料理は何でもおいしかった。一番好きだったものは春巻き。わたしは揚げ物が苦手だからまだこれは作れない。

母が最後に作ってくれた料理は肉じゃが。病気が進み、ほとんど家事などができなくなってしまっていた母が「今日は調子が良かったから作った、美味しくできた」と言って、結果的に最後の手料理となった。いつもの母の美味しい肉じゃがで、少し食べ過ぎてしまって、母は喜んでいた。

肉じゃがは特別母の味、とかそういうものはないけれどもそれからはわたしの中で少し特別となってしまった。

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命日である今日はそれを作った。結構いい出来じゃないかなと思った。彼も美味しいねと言ってくれた。

 

自立した姿を見てほしかった

専業主婦だったこともあり、おかげでわたしは母が亡くなるまで料理に限らず何もできないのにキラキラな発言をするアラサーというとても痛くて恥ずかしい人間だった。

 

母が亡くなり、実家で一通りの家事が出来るようになったことを自身で感じた段階で家を出た。金銭的にも、生活の面でも自立して、やっと大人になれた気がした。

自分や身近な人がそこそこ満足するようなご飯を作れるようになり、生活に困らない程度には洗濯や掃除やなんやかんやはできるようになった。

掃除とかお片付けは相変わらず得意とはいいがたいけれども、実家にいたときよりも部屋は綺麗にしている。と思う。

昨年の終わりから、彼とふたりでの生活が始まり、あれこれとぶつかり合うこともあるけれども楽しく生活をしている。

母が残してくれた数少ないレシピから作った芋の甘辛煮は彼からも好評だけども、母が作ったほうが美味しいのでそっちを食べてほしいな。

そのことを一番に知ってほしくて、報告したい母はもうこの世にいない。

親と過ごす時間は限られているからなるべく実家にいる、その気持ちも分かるけれども親に自立した姿を見せられないのもまた辛いものがあるということは経験者として強く伝えたい。

 

ここ3年は、これでようやく私の中で年明けという感じがする。

今年はどんな一年になるだろうか。来年はどんな報告を、心の中の母にするだろうか。